明治は遠くなりにけり

N0WHereNowhere2008-01-25



駿河台、神保町はかつて私の大好きな街だった。今から、24年前も前のお話だ。▼高校2年から、私はまともな高校生ではなくなった。年間進級基準ギリギリまで「有給休暇」と称して、必ずぶらついたのがこの街だった。▼始まりは今は無き、京成博物館動物園前駅。そこから上野公園の噴水を横目に、不忍池、無縁坂、湯島を抜けて聖橋からニコライ堂を先に見て御茶ノ水に入る。▼てくてくてくてく歩いてゆく。▼弁当持ちが多かった。大概、田安門から入り武道館の前で昼飯を食した。小遣いに余裕があるときは「いもや」のてんぷら定食なんていうのもあった。▼でも、一番好きだったのが旧師弟食堂だ。この建物はおろか、本館はリバティータワーに、御茶ノ水スクエアは跡形もなく、ずいぶんと変わってしまった。▼中華丼が好きだった。いつも中華丼だった。ささやかな、田舎高校生の日常的小旅行だった。靖国駿河台下を何往復しただろうか、芳賀書店を含め、どれだけの本に手を伸ばしたことだろう。▼青春の蹉跌?笑ってはいけないが、苦虫潰したような顔をしながら、全共闘の本を分かった振りして呼んでいた日々よ。しまったな、実は悩ましくなく、とても楽しい日々だったのだ。あの頃の私に教えてあげたい。▼今日、明治大学応援団リーダー部が廃部となった。▼時期を見て、再建されるのだろうか。永久廃部ならば、明治の気骨を買おう。しかし、もう明治の精神など絶滅危惧種なのだから、保護されても驚かない。▼連帯責任が好きな体育会がなぜリーダー部を含めた応援団自体を解体しないのか。体育会の見識の狭さを感じる。世の中とのズレを知らないのだろう。▼ただ、大人として明立戦の開会式に出席していた身としては、あの圧倒される明治の応援が見れなくなるのは、やはりさびしい。▼世の中、無駄に厳しくなりすぎると思うことが多い。八つ当たり時代だと思うくらいだ。でも、今回の明大の一件は廃部に値するものであると言い切れる。▼殴る、蹴るまでならまだしも、裸にしてビデオに撮ってもてあそぶなど、人のすることか。同じことが、他の大学でもありませんように。▼師弟食堂との出会いから始まった明治の薫りは、すでに私の心の中にしかないのだろうか。