佐藤藤三郎の歳月


昨日の続き。藤三郎さんは「実はこれまで「山びこ学校」を避けて生きてきた」と述懐している。しかし、無着成恭と一度決別した彼が、何故「山びこ学校」のことを書くのだろうか? それは教育基本法改正が論議され戦後教育が批判される今、教育の原点を見直したいという思いからだという。▼「あそこには今の教育に欠けた人間の生活や社会、自然の中に教育があった」。佐藤藤三郎の中には「山びこ学校」の精神が生きている。▼そういえば、無着成恭は山形師範学校藤沢周平と同窓である。共通する人間像が浮かぶ。無着は現在、大分・国東の泉福寺の住職を務めている。