農地

N0WHereNowhere2005-10-30



今日一日少年野球だった。勤務時間と同じ時間をグランドに立っているのだから、自分でも大したものだと思う。子どもたちのおかげではあるが。随分、日が暮れるのも早くなった。ギリギリまで子どもたちに練習をさせるため、練習後のグランドの整備は大人がやることが多い。今日は私一人でやった。手抜きすればいいものを、すみずみまできれいにしたくなる。これは、田畑とは別だが、土に対する愛着という点では同じではないかと思う。大きな違いがあるとすれば、それが食えるか否かという点で、生活がかかっているかどうかというところだろうか。田畑と一緒にしたら怒られるのだろうが、私だってこのグランドで子どもたちと関わることが、生きる糧のひとつになっている。▼だから、10年前よりもほんの少しだけ分かるような気がする土への愛着。御料地牧場を払い下げによって授かり、懸命に畑に変えてきた農民たち。「ああ、そこね、明日から空港にすることになったから」では済む話ではないのは当然だろうな。そこに金や人間関係や思想が注ぎ込まれれば、日常生活は一気にぐちゃぐちゃになる。私だったらとっくに逃げ出しているだろう。▼取材不足で、結局私には分からなかったことがある。嘉吉さんはなぜ、彼の地にとどまったのか。セクトからは距離を取り、移転交渉のテーブルに着き、周りからは裏切り者扱いされ、それでもなぜとどまったのかな。▼嘉吉さんは98年7月に胃がんで亡くなっている。一家も別の地に移転をしている。嘉吉さんの死後、8億円もの財産が遺され、2億円もの相続税が納税された。最近になるまで知らなかったことだ。彼は純粋に土に生きようとしたのか。彼の地で生きることから手を引いたのか。引かざるを得ない状況に追い込まれたのか。それとも.......。▼嘉吉さんの電話での第一声は、「ごちゃごちゃ電話で言ってないで来い」だった。私はその日の内に成田エキスプレスに乗り、空港からタクシーで彼の地に向かった。機動隊の検問を2度受けながら。免許書と身分証の提示を促され、記録簿に記録され、無線機でどこかに連絡され、私の足取りは確実に公安の記録に残っている。そんな土地へ行った。▼直にお会いした第一声が「NHK首になるぞ」だった。冗談だったのか、脅しだったのか。ほんの少しだけ私はたじろぎ、企画の提出をほんの少しだけ迷った。結局、NHKスペシャルの枠で年間企画として部内オーソライズを受けた。当時同じ部だったプロジェクトXで会社外でも有名になった今井CPが強い関心を示してくれた。私もまさかNHKで通るとは思わなかった。身内でさえそう思うのだから、外から見たら伏魔殿なのだろうか。それでもNHKは外から見るよりは随分と柔軟な部分があるのだ。現場レベルでは。ディレクターレベルでは。固いイメージを持たれるだろうが、バカなPDばかりだ。人間的にも。私はそこが好きではあったが。▼企画は結局番組にはならなかった。今思えばそれでよかった。当時の私には嘉吉さんの一面しか見えていなかった。土に生きるものは、非常に苦労が多い。人間、苦労の多い者は、いい意味でも悪い意味でも、とてもしたたかである。そこに農民の人間味がある。常に命に寄り添う者の持つ強さだ。かつての私はそのしたたかさを、いやらしさしか感じ取ることができなかった。今思うに、その点が無念だ。その点も含めて人間の豊かみ、温かみ、その生み加減を感じ、表現できたら楽しかろうと思う。▼少年野球の世界にもゴタゴタがございまして、それを今、私はほんの少しだけ楽しんでおります。ただ、やはり、そのようにできるのもそこに生活の基盤があるわけではないという気楽さが、どこかにあるのでしょうか。やはりレベルが違いすぎますかね。