開き直り

N0WHereNowhere2006-04-06


▼一昨日、昨日と入学式のスタッフとして働いた。今年は学内の施設を使わず、東京芸術劇場で執り行われた。貸切でない。他の施設や共用スペースが多く、学外者の動きまで封鎖、規制はできない。そこが弁慶の泣き所。私は一番共用部分が多い一階の入口を担当した。▼初日は文学部のみ。翌日は朝から晩まで、2時間おきに4回興行で2000人の出し入れをする。しかも、外は雨風。5階までの吹き抜けホールは格好の風の通り道。気象庁は最高気温を16℃なんて平気で嘘をつく。様々な意味で極寒の地と化す。▼拡声器は使えない、マイクもだめ、まるで演劇部の発声練習のように通るでかい声を懸命に出し続ける。きつかった。最近とにかく首から下がきつい。この苦痛をして、私はいずれ肉体からの解放が必要であると確信するのだ。▼新聞の訃報欄に絵門ゆう子さんが載っていた。もともとは池田裕子さんと言ってNHKのアナウンサーだった。朝7時のニュースを森本毅郎とやっていた。今でも鮮明に覚えているのはホテルニュージャパンの火災のニュース。ニュージャパンが出てくるたびに私は故横井社長ではなく池田裕子さんを思い浮かべる。▼彼女は乳ガンから全身に転移した。PETに映る全身の画像には無数のガンが広がっていた。ガンの侵食は首の骨にも及び、新幹線に移動中に普通にうつむくしぐさで骨折してしまうほどだった。それでも彼女は多くの講演・著作をこなし、何かを人に伝え続け、輝き続けた。昨日今日の私の肉体など、だ。▼訃報欄の笑顔の写真を見て、良く生き切った人だなと、私は心の中で、思わずスタンディングオベーションをした。▼体の「不調」は「生き切る」という行為の障害にはならないようだ。不調をも飲み込み生きることが生き切るということか。不調だから生き切れないというのは嘘なのだ。彼女の死から学んだことだ。▼昨年フジテレビで彼女のドキュメンタリーを見た。坂本九「みあげてごらん 夜の星を〜」がBGとして使われていた。今日は朝から私の頭の中で流れている。▼入学式は無事終了した。ある種最悪の条件下で、疲労はピークを越えていた。その時私を支えたのは昨年炎天下で少年野球のコーチや審判をやったこと。そして、鴨川自然王国で硬い硬い畑を耕したことだ。あれに比べれば大したことはない。そう自分に言い聞かせていた。▼昨日はそれで乗り切れたが、今日はダウンした。朝、電話にて課長に休暇を願い出る。一日「寝て曜日」だった。まだまだ首から下が思う通りにはならない。思うとおりになることを前提に考えて文句を言うよりも、思うとおりにならぬことを受け止め、その分知恵を絞った生き方をせよということか。いろいろ感じた入学式であった。仕出し弁当には赤飯。ある種私向けでもあったのかもしれない。