カグダー

N0WHereNowhere2006-08-08


キリル文字に出会ってもう20年になる。一向にはかどらない露西亜語。▼1986年、自民党が300議席を越える勢い。プラザ合意津波のような余波はあったが、景気急上昇。政権与党に疑問を持つ者少なくして、世の中マハラジャジュリアナ東京状態。▼そんな時に、ひねくれものの私は高校の図書館で「資本論」なぞ読み始める。社会は自分が作る物だと思っていた。▼ソルジェニーツィン「収容所列島」が話題になっていた。個人的には仏教に走る前の五木寛之に憧れていた。進学先は早稲田の露文に決めていた。▼ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ自民党の総裁に比べれば大したことではないが、それでも今までのソ連のテンポで考えると、ころころ指導者が変わった。▼そして、いよいよゴルバチョフが出てくる。▼早稲田には入ったが、ものの見事に一文には振られた。第二外国語露西亜語。最初に授業で出てきた言葉が「カグダー パジャールスタ」。また、ここで出会えるとは思っても見なかった。▼人生螺旋階段とはよく言うが、もう四十を前にすると恐ろしいほど階段の周りが早くなってくる。とある、友人のブログから拝借した詩を添付する。▼青さを失った人に、生きる資格はないと、私はいつも思っている。でも、この青さを喪失せずに生きることの如何に困難なことか。これでも私の青は、随分色あせて来た方だ。▼顔料の青は人類が最も手に入れるのが困難な色だという。人間の色なんだよな。




晴れようとき       by ボリース・パステルナーク


名声を得ることは−−−醜い
高みに上げるのはそんなものじゃない
文書館をもうけて
原稿管理に心をくだくなど以てのほか


創造の目的は−−−自己を捧げること
大評判でも成功でもない
何の意味も価値もないのに
多数の口の端にのぼるなど恥ずべきこと


密かにわれこそはと驕りかたぶらず
ついにはわが身に
宇宙の愛を引き寄せ
未来の叫び声を聴くように生きること


そしてページの余白に
まるごとの人生の余白や章を
欄外に線で仕切り
紙にではなく 運命そのものの中に残すこと


無名であることに沈潜すること
自分の足どりをかくすこと
一寸先も見えず
地形が霧の中にかくれるように


やがて他の者たちが
おまえの道のあとをたどるだろう
しかしおまえ自身は
敗北と勝利とを区別してはならない


ただの一分たりとも
自己をすてず
しかし 生きて生きて最後の最後まで
生きていなくてはならない


(小沢書店『パステルナーク詩集』より/工藤正広・訳)