芽が出る時

N0WHereNowhere2005-08-28



昨日・今日と朝7時から夕方6時まで少年野球の日々。▼今日は行くのをやめようと本気で思った。疲れているのだ。否、正確に言うとバテているのだ。それでも行ってしまう。きのうノックした1年生・2年生・3年生が、今、芽が出掛かっているところなのだ。▼試合に出れず、シートノックの機会に恵まれない彼らが、やっと芽を出しかけているのだ。今、水を遣らないでどうする。▼ノックを打ちまくり、声も出しまくる。不思議なもので、彼らに接するとバテている私自身が元気になる。しかし、家に帰ってくるとガクッとなる。疲れ切るの壁を越えた死に近しい疲労を全身に浴びる。▼それでも、ふと考える。生きているじゃないか、と。疲れいる状態に変化は無いが、それを受け止めている自分に出会う瞬間がある。▼芽が出た花に水を遣らなくては。突き動かされる気持ち。実際に体を動かし彼らに働きかける確たる時空。そこには「考えすぎ」も「有利」もない。こういう体験を経た知恵として「覚悟」は形成される。私の場合は。はじめに「覚悟」があって、行動があるのではない。▼その煽りを喰らって、母の墓地に咲く日々草は水をもらえないでいる。枯れてしまっただろうか。あした見に行こう。