やまびこ

N0WHereNowhere2005-09-03



山形県上山市狸森(かみのやまし むじなもり)に佐藤藤三郎さんという「百姓」がいる。十年お会いしていない。元気だろうか? 山びこ学校(山元小学校)は4年後に休校になるという。子どもが少なくなりすぎた。▼藤三郎さんに出会った頃、私は革靴で田んぼに入ってみた。まだ田起しする前の田んぼだったが、水分を含んだその土は、程よい柔らか味を帯びていた。踏んづけたことはないが、ああ、女体のようだと思った。母なる大地とはよく言ったものだ。▼十年前、私は直感的に藤三郎さんはすごい人だと思っていた。それは、彼がインテリジェンスに満ちていたからではなく、「百姓」だったからだ。穀物自給率1パーセントの都会に住み、自ら食うことのできない人間にとって、雲の上の存在だった。▼そして、何より当時の私の心を掴んで話さなかったのは、藤三郎さんは 「農的生活」と「教育」が行き交う人間交差点 だったからである。番組では、そこをうまく伝えきることができなかった。それが十年たった今でも悔やまれる。▼未だに見る夢がふたつだけある。ひとつは、NHKに就職が決まっているのに体育(トランポリン)の単位が足りずに卒業できないという夢。もう一つは、放送記念日特集番組が出せない夢。つまり、藤三郎さんの番組が、いくら追撮しても、いくら編集しても出来上がらない夢だ。(現実でもあったのだが....)▼このふたつの夢は今も明け方の私を地獄に突き落とす。目が覚めてしばらくして、ああ、もういいんだったと安堵する。私の無意識の中ではきっと「やまびこ」がこだましているのだ。

山びこ学校ものがたり―あの頃、こんな教育があった

山びこ学校ものがたり―あの頃、こんな教育があった