お追従上手

N0WHereNowhere2005-09-12



「着いていけないなぁ」ということが、私の中には多すぎる。▼少年野球での話。6年生チームが市大会で優勝した。その後チーム内でMVPを決めたという。記録、記憶両面でどう見てもこの子だろうという見方が一部であったという。しかし、その子は選ばれず、キャプテンが選ばれた。決定の瞬間、その選ばれなかった母は臆面もなく泣き崩れたと言う。私は冷たい男なのだろう。こういう風景が大嫌いなのだ。バカじゃないかと腹の底から思ってしまうのだ。▼この話には後日談があるという。選ばれなかった子の母はコーチの父と共に6年間土日をチームに捧げてきたという。一方、選ばれた子の母親は滅多に顔を出さず、好き勝手なことを言ってきたと選ばれなかった“陣営”は主張する。そして、私に言わせればそのバカな母親たちの結論は、これだけやってきた親の子どもが選ばれないのはどういうことだと。失笑を通り越して、軽蔑の感情が沸いてくる。▼今、来年のチームの運営のことでもめている。私はその“陣営”に向かって言ってしまった。自分の子どもに依存した人生の観察日記作りはやめなさいと。優勝に頑なに拘るのなら、あなたたちの人生は一体優勝しているのか?と。自分が優勝できもしないくせいに、子どもに優勝を押し付けるなと。そして、他の親子にまでその考え方を押し付けるなと。▼ところが、少年野球の世界はどこもかしこも同じようなものらしい。私に言わせればバカな親や大人たちばかりだ。私は、こうした状況を前に、お追従上手にはなれない。子どものためなどというバカな理屈も通じない。そこで“陣営”は私に迫る。従うか、退場するかの二律背反を。「お前はテロと闘わないのか?ではあいつらの仲間だ」あまりにも馬鹿げているが、これが人間の現実なのか。▼「不適応能力」という言葉がある。非常に共感できる考え方ではある。しかし、不適応能力論に賛成か、反対か。どこかで聴いたような、つまらない理屈でやってしまうと、少年野球の“陣営”と同様バカである。▼そんな不適応能力論であるならば、その内実は適応能力論と変わらはない。否、それ以上に適応能力の強化理論に陥るだろう。つまり、適応能力論が「優勝理論」だとすると、不適応能力論は「大逆転優勝理論」ということになる。少しでも相手より有利な立場を確保しようとする考え方は両論とも同じだ。かえって、大逆転の方がドラマティックである分だけたちが悪い。▼そうではない考え方があり、人間の生きる場、社会があることを、今、痛切に祈っている。ルサンチマンとしての不適応能力論ではなく、真の「不適応能力」論を実践する場が、この世の中に在ることを、そして、許されるならば、その場に身を置き、実践させて欲しいと、祈っている。

不適応能力―どんづまりが出発点

不適応能力―どんづまりが出発点