職人百姓

N0WHereNowhere2005-10-28



73歳になる親爺には、近所に同世代の友達がいる。その友達は元々シルバー人材センターで働いていたが、手取りが良くないので、自らがブローカーになって、センターの客を引き抜いた。親爺はその人と手を組んで、細々と商売を営んでいる。▼仕事は主に、庭の草取り及び剪定だ。親爺はその人と二人で同じ住宅街のごひいき筋へ仕事に行く。草取りをブローカーが、剪定を親爺が担当している。ブローカーは人をつなぐのはお手の物だが、「手に職」がないいわば虚業筋。親爺は、農家、建築業でたたき上げた実業筋。▼親爺がぼやく。この前、相方が隣のうちの庭まで草取りをやっていたと。そこで親爺が仕事は頼まれた範囲だけをきちっとこなすもんだと苦言を呈したと。それでも相方は気に留めず草むしりを続けていると、依頼の家人より隣の家まで草取りするお金は払わないよと怒られる。ふたりで時給5000円、およそ2時間で仕上げる庭仕事。家人の言い分はもっともである。▼親爺は農家の三男の出で、65歳まで溶接工をしてきた。百姓の遺伝子と職人の思考回路が染み付いている。基本は何か。それはどうやって喰っていくか。当たり前の姿勢がそこにある。「のんびり百姓でもやりますよ」とは、喰うに困らぬ人の道楽宣言に過ぎない。百姓も、職人も、基本は食うために仕事をしているのだ。▼しかし、「食うためだけじゃつまらねぇじゃぁねぇか、え〜」となる。そうなった時初めて、人は仕事の奥行きを広げていく。「もう仕事頼まないよって言われたら、食い上げだからな。分かってねえんだよ、相方は」だと。▼私はかつて、百姓根性の偏狭さを嫌い、職人のそろばん勘定のいやらしさを嫌っていた。それが、そうでもなくなってきたから不思議だ。「食えない所に仕事なんてない」 最近、親爺が教えてくれたことだ。