見切り

N0WHereNowhere2005-11-03



「できる人」は見切りが早い。判断が早いとも少し違う。悪く言えば、見捨てるのが早い。特に人間を見捨てるのが早い。▼長男が少年野球を1年生からやっている。はじめは同学年が3人だった。しかし、3年生の11月ともなると、8人にもなる。関わる親の数も増える。その中に、某国立大学法人附属小学校の教員がいる。(ちなみに私は教員と教師を区別している。教員は一リソースに過ぎない。)もともとは某市の教員として採用されたのだが、いわゆる「できる教師」が6〜7年の任期で附属に派遣される。教員界のエリートだ。▼このお父さんは野球経験もある。それにしてもしかし、他人の子どもの将来にも渡って見切った物言いをする。「この子はピッチャーでは無理」「この子はセカンド止まり」。その見切り方は堂々たる物だ。▼私はその見切りの中に、申し訳ないがその人の愚かさを多分に感じ取る。しかもこの人が教員であり、教員界のエリートとして生業を営んでいるところにこの世の暗さを感じざるを得ない。▼学校は変わった。小学校も、大学も。資本主義の世の中(国益)に添い寝するようになった。子どもはさぞかし息苦しいだろう。それにしても、子どもの能力をすばやく見捨てる力が、教員エリートの条件であるとすれば、あまりにも悲しすぎる。自分の子どもは、この学校の附属中学には入れたくない。変わり者が生息できるそんな場所を、息子には探し当てて欲しい。▼そして、こういう人に会うたびに思う。私は「できる人」にはなるまい、と。