出発点

N0WHereNowhere2006-01-08

赤ちゃんが帰ってきて良かった。幼い子どもの身に何かが起きるニュースを触れる度に、腹の奥で何かむずがゆい感じが起こる。今回の仙台の件、そして、虐待で命を奪われた子どもたち、そんな記事を目にする時、むずがゆい思いに駆られる。さらに、死亡事件に至らず、ゆえに世の光が当たらず、今この現在も連綿と続く児童虐待の元にいる子どもたち。腹の底のむずがゆさに、今日もくそっ、と思う。そして、こういう時、私は祈ることができない。人類にこういう試練をも与えるという全能の神。そんなくだらない、偉そうな「物」を仰ぐキリスト「教」者たち。子どもが死んでも「神のみわざは人には計り知れない」と平気で手を合わせるバカな司祭と信徒たち。能天気も大概にせよと強く憤る。これらの「物」たちを、腹の奥底から蔑視する自分がいる。キリスト「教」糞くらえ。神という「物」へのテロを仕掛けたくなる。同じキリスト「教」の信徒でありながら、神にテロを!と叫ぶ信徒も世の中にはいるということを、覚えてください。ちなみに私の洗礼名はパウロです。