「ポジショニング」に関する一考察

N0WHereNowhere2006-01-27



先日、あるコンサルタントさんの話をCDで聞きました。聞いた感想は、「この人、よくこんな当たり前のことを堂々と話せるな〜」というものでした。それも、とっても当たり前のことを「法則」にして、「○○の法則」と言っているのには笑えました。▼話は変わりまして、数年前あるコンサルタントがたくさん集まる場に行ったことがあります。その場では、ある企業のコアコンピタンスについて議論がされていました。そして、ある紳士風のコンサルタントの方が背筋をキリっと伸ばして、大きな張りのある声で話し出しました。その話の、なんと「日経ビジネス的」なことか・・・。どう考えても、その人のオリジナルとは思えない誰でも知っているようなことを堂々と意見するのです。▼私は、からかってやろうと思い、彼の正論を全て論破してやりました(Gパン姿で・・)。彼の反応は、「あなたは、こんなセオリーも知らないのか!」というものでしたが、実際のところは私の言うヘソマガリな意見こそが、議論のマトになっている企業の戦略の要でした。当たり前のことですが、教科書通りならば、誰だってできるし、コンサルタントもいりません。▼山口文憲さんも指摘していますが、新聞などに掲載される「男性 無職 65歳」さんの投稿もかなりひどいものです。地球環境や政治、教育のことについて「正論」を言っているものが多いですが、どれも、「なぜ、今、みんなが既にわかっていることを偉そうにあなたが言う必要があるの?」というものばかりです。▼そういえば、お客様の息子さんの結婚式に出席したときに聞いた、ゲストの農協組合長のスピーチもひどかった。人の息子の結婚式で農業情勢を語る無頓着さにも驚きましたが、その内容は「男性 無職 65歳」さんと何も変わりません。▼私のところに添削を依頼してくるセールスレターにも、その手が多いですね。とうとうと地球環境のことを訴えたり、健康の必要性を説いたり・・・・。▼そんなもの、全部わかってるって!!表現の自由を否定する気はないですが、どうして世の中には、「自己満足の正論」が多いのでしょうか?その弊害は、ビジネス書を筆頭に、お金を出して買わされる物にも及んでいて、「こりゃーかなわないなーーぁ!!」という思いを持つのは私だけでしょうか?▼確かに、世の中の全てのことは語り尽くされています。ゴダールが『気狂いピエロ』でやったように引用で埋め尽くして一つの作品を作ることも可能です。私なども、引用を使わずに自分の経験だけで語れば良いところを、あえて(無理に)引用を入れて語るときがあります(この手は、出版界隈では評価いただいています・・)。そういう手法が可能なくらいに語り尽くされているわけです。▼しかし、だからと言って、「自己満足の正論」しか存在しないかと言えば、そんなことはありません。それでも、まだまだたくさん語るべき事はあるのです。ですから、まだまだたくさんビジネスの形はあるのです。当然、全てがオリジナリティーである必要もありません。構造は、まねっこでも良いのです。ただ、その構造に載せるソフトが「自己満足の正論」ではダメなのです。▼「男性 無職 65歳」さんの新聞投書は、まぁいいでしょう。害はないし、世の中は平和な感じで安心もできます。しかし、コンサルタントという仕事を業にしている人でも、「男性 無職 65歳」さん並なのです。▼ここにチャンスがあります。世の中では、私を含め「ポジショニング」などと難しい言葉で説明していますが、そんな言葉さえいりません。「常識」さえあれば良いのです。▼その「常識」とは、「図工の時間に、隣の人と同じ絵を描かない」という子供でも知っている常識です。小学校の学園祭などで飾ってある子供達の絵のイキイキしたことといったら、どう表現したらよいでしょうか。重力もなければ、常識的な大きさも無視。遠近感もナゾならば、色彩感も大人には考えられないような感覚・・・・・。それがポジショニングなのです。▼そして、まずは日常で、「金輪際、正論は口にしない」と決めることは案外重要だと思います。戦略の得意な人は、日常も戦略的です。ですから、日常のこういった態度は、地味に見えて意外に後々の効果が大きいモノです。そして、そんなことを続けていると、正論を吐く人がバカに見えてくるはずです。そうなると、テレビの出演者や評論家の半分以上が、あまり存在意義のない人たちであることがわかってきます。▼あえて、「最初の一歩は?」と問われれば、こんな回答をするかもしれないと思うのでした・・・。

追記
立川談志が『文七元結』の解説で、「世の中は、これを美談と称し、”長兵衛さんのように生きなければならない”などと、喋る手合いがTV、新聞、雑誌にゴロゴロしてケツカル」と言っている。人情話の代表作をこうやって切ってしまう談志は最高である(しかし、私ごときに「最高」なんて言われたくねーと思っているだろうから、なおさら最高である)。

−「週刊 岡本吏郎 TAROくんの頭の使い方(3)」より−
関連記載:http://d.hatena.ne.jp/N0WHereNowhere/20060110