私はインドにいない

N0WHereNowhere2006-01-26



昨日の筑紫哲也氏の話。私が反応した部分。彼は食うために就職口を探した。当時、政経では優の数が30個以上だと一流企業に推薦状を書き、20個以上だとそれなりの企業に推薦状を書いたそうだ。授業にろくに出やしなかった筑紫さんだが、最後は20個をめざし、頑張った。そして、念願の20個に至ったので学部事務所に推薦状をもらいに行った。ところが体育の優は数えないと言われ、結局推薦状を書いてもらえなかった。やむなく、推薦状など必要のない新聞社を受ける。その代わり、倍率はべらぼうに高い。▼さて、新聞記者を選ぶに当たり、文書を書くのは嫌いでないし、読むのも大好きだった。きっといい仕事だと思ったそうだ。ところがいざ始めてみると、記者はまず人に会いに行かなくては記事が書けない。これが苦痛、大の苦手だったそうだ。記者歴10年を過ぎるまで、向いてない、向いてない、辞めよう、辞めようと思っていたという。▼ニュース23で、「バカの壁」「超バカの壁」の養老孟司氏と対談の機会があった。そこで養老さんがいった。自分探しとは変な言葉だと。自分探しにインドに行っちゃう若者なんかいますが、自分はここにいるのであって、インドなんかに居ないんですけどねぇ。▼仕事の向き不向きをやる前に決めることはできない。どうして向かないと、やる前から分かるんですかねぇ。▼当の私もインドに居なかった。自己実現は私の中で実現するものではなく、私の外に立ち上るのもであった。この辺の感覚がやっとつかめてきた今日この頃です。▼ちなみに私の優は十にも及ばず、授業の出席率は去年の清原の打率より低かった。私は大学には居ない、自己実現は大学の外で実現するものだ、が私の学生時代だった。それを続ければよかったのかな? まあいいか。▼人には、少なくとも私には、自分を探している暇なんかないんだ、と。自分を探すという幻想。「自分探し」教をやっと捨てる時が来たか。とうとう棄教の時代が幕を開けた。

超バカの壁 (新潮新書 (149))

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