エナジー

N0WHereNowhere2006-04-30


私には何もないと思っていた。今日は、そうではないことを教えてもらった一日だった。▼私は「変わり者」である。みんなと同じ方向を向けない。だから、みんなと同じ方向を向いていては価値が生まれない仕事が好きだ。前職は周囲と違う視点・切り口を持つことが重用された。しかし、組織という大枠ではみな同じ方向を向くように仕向けられていた、ように私は感じた。▼今の職場は皆と同じ方向に歩調を合わせることを要求される場のように見える。ところが、「変わり者」が生きる隙間がきちんと存在し、与えられている。その価値に気付かされた。▼今日は午後から結婚式に出席した。新郎・新婦とはチャペルの事務課にいた時にお付き合いをさせていただいていた。特に新郎とは、深い話もしたし、酒も飲んだ。休職中に招待状を送ってくれた。復職したので今日、彼らをみんなと共に祝福することができた。▼私の職員評は「変わり者、暑苦しい、学生寄り」だった。前のツーフレーズは好き勝手言えばよいと思うのだが、最後のワンフレーズが許せない。今でもだ。私たちは学生が居てこそ飯が食えることを忘れてはいけない。▼私には学生部の嫌いなところが一点だけあった。それは学生に対して啓蒙主義的に接することだ。学内の公安部として秩序を守ることは大切だが、どうしてお客さんにそこまで偉く出れるのか、私は未だに理解できない。▼そんなこんなで職場では、かなり限られた人間にしか心を許すことができないでいた。だから、仕事を通じて私が感じるのは、私には何もないという気持ちだった。▼チャペルには卒後5〜6年程度のOB・OGが集まった。数人とは二次会までの間にお茶をしながら、さながら同窓会となった。人がそこに居て、その人を、人として大切にしようという精神を、私は彼らから学んだ。▼そんな学舎が今時あるだろうか。即戦力として社会に役立つことも大切かもしれないが、じわりじわりと人間味をまして完成されていくのが本当の姿ではなかろうか。▼かつて私が職員と付き合うべき時間を、学生との時間に割いた。それは無駄ではなかった。人間として、面白おかしくやりながらも、どこかに真剣な眼差しと、心を一にする精神がある。▼私には何もなかったわけではなく、彼らが居た。ありがたい。S君、S君、O君と彼女に感謝。それだけで明日、生きていける。


▼かつて、精魂込めて礼拝を作ろうとしていた紳士淑女の学生諸君がたくさん居た。写真はジム・ドーソン氏、小林進先生、八代智先生、藤原さんの送別礼拝を学生が企画したものである。これくらいのこときっちりやる力があった。総合的なプロデュースをしたM君は今、池袋中高の事務室に勤務している。おばかでありながらとても優秀な青年です。