五十年

N0WHereNowhere2006-05-01


五十年を覚えて、祈ります。


昨日は2年半ぶりくらいに、説教・奨励の類に触れた。この2年、会社にも行かなかったが、教会にも行かない日々が続いていた。未だに母教会には顔を出せずにいる。▼奨励者は神崎司祭。言葉は稚拙な子どものように、しかし表現力と人を惹きつけるオーラに満ちた話しぶりだった。久しぶりに頭で考えるのではない、感じる話を聴いた思いがした。▼チャペル時代、何かにつけ、私は神崎司祭とぶつかった。しかし、最後まで憎みきれなかったのは、彼を通して十二分に感じる神さまの姿があったからだ。袂を分かち五年たった今も、彼にはぶれがなかった。そこが嬉しかった。▼その彼に導かれ連れて行かれたのが水俣である。しのぶさん、視線の先にあるチッソの工場、見つめるその瞳には、何が映っていたのだろう。今日は、ただ、ただ、ひたすらに祈ります。