あれから10年

N0WHereNowhere2006-05-16


不死身のヘレンケラーと呼ばれる女性がいる。悦子さん、当時36歳。六重の障害を抱える盲ろう者だ。わずかに残された右目の視力を頼りに、手話の一種「指文字」で家族と会話を交わす。▼悦子さんが病に倒れ、障害を負ったのは25歳、初産直後のことだった。病名は多発性神経芽腫。神経がかよっていれば、場所を選ばず癌が発症する難病で、それが脳にできた。▼手術に臨み、奇跡的に一命を取り留めたものの、六つの障害が残った。医師からは一年もたないと言われ、夫は悩んだ。病状を告知すべきか否かと。「一年もたないのなら、黙っておく方が私も楽かもしれない。正直そう思うこともありました。」しかし、悩み抜いた末に妻を支えようと決心。在宅介護ができるようにと、仕事まで変えた。▼全国にいわゆる盲ろう者は推定2万人。目と耳の両方が不自由なため日常会話もままならず、家にこもる人も多い。それを知った悦子さんは、自分だけ落ち込んでいる場合ではないと、地元名古屋に盲ろう者協会を設立。同じ障害を負った人々の生きる糧となる情報をボランティアの手を借り、発信し始めた。▼彼女は以来、さまざまな目標を立て、それまでは死ねないと、走りぬいていく。「授業参観で息子の晴れ姿をひと目見るまでは」「盲ろう者の全国大会に出て一人でも多くの仲間を励ますまでは」▼そして、盲ろう者の存在をもっと世に知らせたいと、病床で綴った四百句もの川柳を本にまとめる目標を立てた。▼「いつ死んでもおかしくない。でも必ずできることがあるはず。ダンナの告知、今になって薬より効いてるわ。」情報を正確に伝える勇気と、それを受け止め、支えあう力。これらは人の生き方をも変えてゆく。▼その後、入退院を繰り返しながらも、ついに念願の川柳集は完成した。しかし、本が出来上がった直後の冬、悦子さんは逝ってしまった。

『 マラソンを 全力疾走で 走るバカ 』

先は長くないと告げられながらも、目標を次々につないで生き抜いてきた12年。障害を知り尽くし、家族と共に支えあえたからこそ、走り続けることができた人生だった。