20年前を覚えていてくれる

N0WHereNowhere2006-06-05


管理職に召集がかかり、指令が下る。重点校を回り、本学をアピールせよ。▼銀行を辞め、運送会社の役員から本学関連会社の部長になり、今は私と机を並べる人生の先輩がいる。入試のことなど分からない。ましてや学内情勢など。部外者への開放性が極めて未熟なこの職場では、ああ、この人も私と同じ苦労を強いられているなあと感じることがある。▼そんな彼に指令がでた。「芝浦工業大学柏高校を訪問せよ」と。ははは、何ということはない、我が母校である。私立学校は教員の異動が皆無。演劇部の顧問としてお世話になった先生が、今は進路指導部長。話は簡単だ。▼早速電話をする。「R大学のUです」先生誰だ?と怪訝な声。「ご無沙汰しております、5期生のUです」すると「お前何やってんだ?」と。ああ、覚えていてくれましたか。そりゃあそうですよね。▼この学校はかつて男子校だった。附属中学もなかった。夏はトランクスで過ごし、プールはフルチン。大した進学校でもなかったので三分の一が推薦で芝浦工業大学へ、あとは遊び倒し、一浪してどこぞの大学へ行くのが普通だった。その開放感、自由な雰囲気は旧制中学に近い物があった。(今は影も形もないが)▼第一教員が面白かった。皆、人生の変節を経ていた。開成・東大14年、朝日新聞、日立、三菱等々真っ直ぐ先生になった人が少ない。この人たちが社会を教えてくれた。半端ではなく面白かった。▼3年間で無事卒業した者の中で、私は未だに遅刻・早退・欠席の三冠王だという。年に二十日は必ず休んだ。有給休暇である。神田・神保町の古書店をはしご。全共闘の本と芳賀書店が定番であった。小遣いがあれば「さぼうる」でコーヒー。なければ武道館の前で弁当を広げた。▼学校にいったらいったで、社会問題研究会を主催、制服反対闘争を展開(あっという間に終息)。昼休みには図書館でつげ義春を読み漁る。大体つげ義春がおいてある図書館ってどんなだと。▼開校したばかりの学校。何もない中での、何でもありの世界。その中でも恐らく目立った存在だったのか。「5期生のU」で通用したのが、おじさんになった私には妙に嬉しかった。20年前の私を覚えていてくれている他人が居るのは、何か歯がゆいものの、嬉しいものだ。▼となりのおじさまに来た召集令状のおかげで曇りがちな気持ちに少し陽が差す。