自己否定の補償

N0WHereNowhere2006-06-22



散る桜 残る桜も 散る桜(良寛


100年後、このブログの読者は誰も生きていません。50億年後皆さんが向かわれているパソコンのあるところは、太陽です。▼何を以て「死」というんかはしりませんが、たとえば心臓の鼓動が一切やんだ時であるとします。では、その瞬間を我々は方程式を使って逆算し、その瞬間にピタッと死ねるか。当然「否」です。▼終わりを決められそうで、決められない。でも必ず終わる。▼どうせ死ぬのなら、と考えれば、日々の思いとことばと行いにも変化はでるかと。死を意識するまでに追い詰められた者はある種ラッキーである。死から見つめる生を生ききればいい。さあ、死にますよ。その前に少しだけ生き切りましょうや。