「硝子戸の中」

N0WHereNowhere2007-03-03


ガラスどのウチと読む。夏目漱石の随筆である。▼我輩はまだ「我輩は猫である」と「坊ちゃん」を読了していない。おそらく生涯最後のページにたどり着くことはないだろう。▼私が「硝子戸の中」を手にしたのは高校一年生の時、1984年。ぴあマップなるものが世に出た年だ。▼昭和の残影の中に、明治の残り香をかいでいた。まだ感受しやすい時代だった。何せ本を開く電車の中はエアコンなど付いておらない。それこそ、ただただ硝子が開け放たれ、短いレールの継ぎ目音がフォルテッシモで耳鳴りし、頭の上はハエよりうるさい扇風機が回っている。そんな中で無垢な少年はナツメをめくる。▼今はどうか。レールの継ぎ目は長くなり、車輪のリズムが響かない。社内は必要以上に静かで、過剰なほど涼しい。誰がこの世をここまで過剰したのか。過剰が過剰を産み、過剰の二乗がネズミ算。前にも書いたが、自分でやるのりしろくらい残しておけよ、と、もう一度あの熱い列車を返してくれ。http://d.hatena.ne.jp/N0WHereNowhere/20050805▼で、この頃から王道は大嫌い。みんなが向く方にうそ臭さを嗅ぎ取る。そもそもナツメなんてと思ってみたものの、一番薄い岩波文庫のオブラート版を手が伸びた。誰にもある出来心。ナツメのくせにもってのほか面白かった。何が。実はナツメがとても神経質な男であること。その一転が私を引き込んでいった。▼自分でも止められぬほど何かに引き込まれる力。その力に素直に乗るのも愚の骨頂だか、無視するのもまた愚鈍すぎる。そういう意味ではナツメは王道であったのかもしれない。▼予感があった。私は計画人生を歩む者ではないことを。いろいろなものが今の私を彩っているのだな。書棚を整理しながらふと思う。▼硝子戸の中を読了の後、すかさず「こころ」に手が伸びた。この本は、私が幾度も読んできた本である。第二位だ。第一位はいわずと知れた「テロルの決算」(沢木耕太郎)。「こころ」は、我が人生の無力なることの教科書だった。この本がはじめて教えてくれた。▼それは絵本や児童書に恵まれる機会のなかった私の遅くて早い思春期の終わりだった。だからだろかこの頃から革命というものに強い関心を抱いた。また現場も見た。踏んだ。▼出会った革命家の卵たちは皆、磁石に吸い付いた砂鉄のように繊細で脆弱だった。磁石が磁力を帯びなくなったとたんに地に落ち、ただの砂になった。まだ、社会党が健在で、土井たか子が「山が動いた」なんて言えた時代だった。▼まだ権力に楯突く者がいた時代だった。岩波ブックレットが出始めで、19冊目の「コメンタール 改憲論者の主張」が売られていた。正面切って総理大臣に挑んでいた。なつかしいほどに、悲しいくやせ細ったニッポン、そして今の私は焼け太り。▼今日のイイタイコト:私は死に場所を求めているのであるのだと改めて気が付いた。死に場所を奪われることほど悲しいことはない。結局何でもいいのだ。天皇陛下万歳でも何でも。ただひとつ、神のために死ぬことはない。ありえない。何が生きる活力か。どんなに小さなものでもいい。じっくりしこんだ爆弾を自分もろとも爆発させる。キリストよ、私の死に場所を返してもらおうか!「芸術は爆発だ!」

硝子戸の中(うち) (岩波文庫)

硝子戸の中(うち) (岩波文庫)