投影

N0WHereNowhere2005-06-26

きのうはKS王国(http://www.k-sizenohkoku.com/)で田んぼの草取りをした。暑かった!何せ、この日日本で一番暑いところは37度を超えた。普段使わない筋肉が悲鳴を上げる。それでも作業を続けることが出来たのは、私が既に峰岡山系の長狭米の味を知ってしまっていること。そして、ある「変差値」の高い変なおじさんの一言。「この草があるからいいんだ」。雑草は作物の輝きのバロメーターだ。ただ、この輝きを輝きと受け止められない人には一生見ることの出来ない輝きだ。
ユングがとても好きだった時がある。特に「無意識と投影」との関係が好きだった。ユング心理学では、「こころ」の中に「意識」と「無意識」があると考える。 ある人が「自分である」と考えているものが「意識」。「自我」とも。一方、「無意識」は、意識されないもの。意識されないから無いも同じ。だからそんなもの、考察する意味はまったくないと考えられる。しかし、無意識は意識とつながっていてる。本人の意識(=自我)と関係なく無意識の力が意識に影響を及ぼす。▼無意識とは「意識されないものの集合体」。活発な人の無意識にはおとなしい人格が、おとなしい人の無意識には活発な人格が、意識されないまま眠っている。これらは、意識されたことがないため常に幼稚で未発達だ。たとえば、普段はおとなしい人が、何らかの拍子に急にわがままを言い出して人の言うことを聞かなくなったりする。これは、無意識の活発な(しかし幼稚な)人格が騒ぎ出しているためであると、ユングは考えた。▼普通の人は、無意識に存在するものを自分の心の中にあるものとは認めていない。無意識に存在するものを意識化する場合、それはたいてい自分のものとしてではなく、他人のものとして認識される。▼さっきの例でいうと、活発な人がおとなしい人を見て、非常にいらいらさせられたとする。これは自分の中のおとなしい(しかし未発達な)人格を目の前のおとなしい人の上に重ねているに過ぎないのだ。実は、自分自身のおとなしい人格のその幼稚さゆえに、自分自身が作り出している「イライラ」なのだ。だから、はたから見ると「何でそんなに必要以上にいらいらするの?」という風に見る。このような現象をユング心理学では「投影」呼ぶ。かつて私自身はこのパターンが多かった。周りの人間にどれだけ嫌な思いをさせたことか。
▼今日はこれから少年野球(遅刻!)。最近「キャッチボール」に対する考えかたが変わってきた。かつては投げることがキャッチボールであると思っていた。冷静に考えればボールをキャッチするのが「キャッチボール」だ。その行為のメインイベントはスローではなくキャッチであった。相手の球を、グローブを気持ちよく鳴らして受ける快感。実はキャッチボールは受け取るという行為から始まるのだ。▼今までどれだけ投影のキャッチボールをしてきただろう。そのたびに、相手の無理解や、それによって生じる自らの孤独にさいなまれてきた。もしかしたら、自らの無意識の投影が作り出しているのかもしれない。無意識はコントロールできない。だから人は「投影」という行為をせずには生きていけない。でも、目の前の出来事が、自分の無意識の投影であると自覚するだけで、現実への変化の糸口がつかめるかもしれないと思う。
▼KS王国(http://www.k-sizenohkoku.com/)は、会員の投影対象であり、スタッフたちの投影対象であり、藤本家の投影対象である。投影の投げ手てであると同時に、投影の受け手であるスタッフの苦労は計り知れない。
▼わたしがこれから与えられる宿題は何か?投影される側として、キャッチボールの捕らえ手として、自覚的に無意識を生きるということなのだろう。

希望宣言―日本の「風と土」をとりもどす「無農薬政治」への道

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