滾々

N0WHereNowhere2005-07-02

船橋の奥地にNS(http://www.new-start-jp.org/)の農園がある。そこには上総掘りで掘られた井戸がある。私は水を出そうと必死に取っ手を上下させた。ところが水は一向に出ない。▼しばらく様子を見ていたスタッフが私に教えてくれた。水を出すには取っ手の根元にわずかな水を入れる必要があると。言われたとおりに少々の水を入れる。すると面白いように水が沸き上がる。井戸の一番水を汲み上げるには「呼び水」が必要だったのだ。私はそんなことも知らなかった。▼5月の末にKS王国の帰農塾に参加した。(http://www.k-sizenohkoku.com/satoyama/satoyama_top2005.htm)楽しいことがたくさんあった。詳細は記さないが、一番心に沁みる言葉があった。「乳房から湧き上がるエネルギー」というやつだ。▼参加者の中に、実家のある田舎に帰ると、決まって体調を崩すという方がいた。東京で必死に働いている姿が想像できる。否、本人の意識の上では「必死」ではないのかもしれない。おそらくルーティーンになっている何でもない仕事なのだろう。しかし、気持ちの奥底、もっと言えば自らの魂に不自然を強いているのではないだろうか。私は、そう勝手に想像した。▼その話に加藤登紀子さんが応えた。(http://www.tokiko.com/)(http://www.k-sizenohkoku.com/tt_top.html)いわゆる男の働き方、エネルギーの使い方がそういうものなのかもしれないと。女は少し違う。私は少し違うとも。私の場合はステージをやっているときもそうだが、エネルギーを吸い取られるとまた内側からエネルギーが滾々(こんこん)と湧いてくると。それは、子供に吸われた母乳が乳房の奥から吸われれば、吸われた分だけ湧いてくるのと同じだと。▼今日の少年野球はきつかった。たいしたことはしていない。それでもこの湿気とにわかに差し込む日差しに死ぬ思いをした、感じがする。何度か本気で早退しようかとも思った。ところが、子供と接し続けなければならない状況が、次から次へと目の前に生まれる。私は母ではないので分からないが、ああ、母乳を吸い取られると言うのはこういうものかも知れないなとおぼろげながら感じる。▼働いて、働いて、寝る、寝る。これが働き方、エネルギーの使い方だと思っていた。どうも違うようだ。そのような在り方は変えないと心豊かには生きてゆけないような気がする。エネルギーに準備は必要ない。0からいきなり−100まで一気に掘り下げる。すると地中から勝手に水が湧き、高さが0まで戻る。時には空高く噴出することもあるだろう。どうも、「お金」と「人間のエネルギー」とは使い方が少々違うらしい。▼今日は朝から少年野球に行くのが嫌だった。どうして今日に限って雨が降らないのだと恨み言が頭を巡った。でも、今日一番やりたくなかったことが、今日一番の気付きの「呼び水」になった。おもしろい。▼働いて、吸い取られて、その分じわりと湧き上がる。寝てても何も湧き上がらない。吸い取られないように用心深くしててもエネルギーは補充されない。力は貯めて使うものではなく、はじめに使うことで、滾々(こんこん)と湧くものなのだ。

農的幸福論―藤本敏夫からの遺言

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