永劫回帰
何度も書くのだが、日記を登録する前に画面が消える。操作ミスなのだが、偶然とはいえないミスが続く。何かの力が加わっている嫌な感じがする。そして私はその力に真っ向から抗う意志を持ち始めている。それでもあきらめずに記す。▼昨日、ある映画の事を思い出す。「ワンダフルライフ」(是枝裕和監督)だ。(http://www.kore-eda.com/w-life/)
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▼人生に「意味」も「目的」もない。「神」などいないし、「あの世での永遠の命」などありはしない。キリスト教は人生に「意味」「目的」を求めずにはいられない。人間の弱さが捏造したシステムである。現代の科学的世界観の元、「神」や「永遠の命」は人々の心には届かない。それでも、人間は、人生の「意味」や「目的」を求めずにはいられない、その弱さを性とする。その根源的な弱さを支え、生きていくにはどうすればいいか。▼まず、ニーチェはこの世界や人生自体には何の意味もないことを受け止めよと。そして、この世界や人生が未来永劫回帰し続けるものと考えろと。つまり、私の誕生から死の時まで、あの時、あの場所で味わった同じ苦しみを何度も何度も味わい続けるのだと。一切合切全く同じ人生がただひたすら繰り返されていくと。▼そこには「終わり」がない。つまり自殺も無意味になる。ただ、自殺に向かうその瞬間まで、苦しみに塗りたくられ、その苦しみから逃げおおせようと自決する。その人生がひたすらに繰り返されるというのだ。▼「無意味」であるが「苦しみ」を永遠に味わい続ける人生。これはこれで嫌なものだ。しかし、彼はいう。永劫回帰の本質はぐるぐる回ることにはないと。ある一点。その一点があるがために人生は回るのだと。▼あのことがあったから私は生きていける。そう思える「至福の瞬間」。その瞬間が全永遠に意味を与えると。▼ニーチェは幼少の頃から天童扱いされ、24歳の若さでバーゼル大学教授に就任。35歳で病気のため退職。以後、恩給だけを頼りに孤独な文筆活動を続けた末、発狂。10年間闘病生活を送った後、55歳でこの世を去る。▼そのような自分の人生を肯定できると言わしめたニーチェの「至福の体験」とは何だったのか。▼それは、ルー・ザメロとの恋愛だった。モンテ・サクロの丘にふたりで散歩にいった。その後に出した彼女への手紙の中で、ニーチェはこの時のことを記している。「私の生涯の中で最も恍惚とした夢をもった」時間であったと。▼生涯における最上の快楽と失望。この後に起こる失恋体験。その翌年、ニーチェは『ツァラトゥストラ』のインスピレーションを受けている。「神の死」だ、「永劫回帰」だと重々しく迫力のある言葉を操る思想家が、何だ、恋愛かと一瞬拍子抜けし、たじろがないわけでもない。▼しかし、私にはよく分かる。絶対的な恋愛体験ほど、私たちに「至福の瞬間」をもたらす。人間にはどうしてもぬぐうことの出来ぬ本性がある。恋愛こそその存在を告げ知らせてくれるものだ。
- 作者: 竹田青嗣
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▼「ワンダフルライフ」の主人公は、出征の前に会った大切なひと、白いワンピースの女性を忘れられずにいた。その逢瀬の瞬間を至福の時に選ぶやに見えた。しかし、彼の結論はそうはならなかった。私には人生至福の時をわざと選ばなかった気がしてならない。▼おそらく彼は、人生の「意味」や「目的」への従属から解放されたのだ。求める人生から、求めに応じる人生へ変わった。「学びました」ということの、その唯一の証は、「変わる」ということである。彼は人生を全うしたのである。▼今、思う。ニーチェと「ワンダフルライフ」(≒V・フランクル)(≒『百万回生きた猫』)は、私の変遷の一里塚として燦然と輝く、と。
- 作者: 是枝裕和
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- 作者: V.E.フランクル,山田邦男,松田美佳
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- 作者: 佐野洋子
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