雨音の残像

N0WHereNowhere2005-07-10


久しぶりに雨音に耳を傾けた。昨夜、関東地方は豪雨だった。私は音の中にかすかな残像を感じた。そういえば、あの試合も大雨の中で行われていた。▼グラウンドの水溜りに耐え切れず、球審は中断を宣言した。あれは1993年、高校野球秋季東北大会決勝戦。秋田経法大附属 対 東北高校山形県新庄市民球場。両エースの投げ合い。雨上がりの後、試合は延長に突入した。私は中継車に乗りPD(担当ディレクター)を務めていた。▼どちらが勝ったのか、覚えていない。しかし、東北高校のエースとして堂々たるピッチングを為した男の残像は今も極めて鮮明である。昨夜の豪雨と、今朝の水浸しの少年野球グラウンドが、11年前の記憶をにわかに呼び起こした。▼それにしても、今日もすごい一日だった。朝7時から雨で荒れたグラウンドを整備し、試合の後、夕方の5時まで練習した。試合は5-14で敗れた。数字の上では大敗である。ところが不思議なことに負けた気がしない。子供たちはしっかりやっていた。出し切っていた感じがした。▼試合終了後、対戦相手の子供たちと会話を交わす。そこで分かった。何と言うことはない。相手は5年生中心のチームであった。我々は3年生主体。5回ゲームセットがルールの試合で、3回終了まで5−6で競っていたのだからこちらもたいしたものである。負けた気がしないのも、力の差が歴然とした相手に一歩も引かず、全力で戦い抜いた子供たちの残像が頭の中でリプレーしていたからだろう。▼暑さと湿気と肉体疲労。汗だくで、きつい一日に変わりはない。しかし、今日を生き切った清涼感はどんなにおいしいビールにも変えがたい。だから、こんな日はビールを欲しいと思わない。不思議である。▼11年前、私の劣脳に刻まれた「残像」の男は、高校卒業後、プロに入った。そこでピッチャーとしては、鳴かず飛ばずの時を重ねる。やっと花が咲いのは一昨年のこと。しかもピッチャーとしてではなく、バッターとして。▼私の中の「残像男」は、55番を背負っている。松井と同じその背番号と、カープのチームカラーにちなんで、世間では「赤ゴジラ」 と、呼ばれている。