二毛作

N0WHereNowhere2005-07-21



仕事をしていないと固定客しか来ない飲み屋になる。私の固定客は、少年野球、海浜霊園にある母の墓のガーデニング(今は日々草を植えている)、メールのやりとり、新聞。そして何よりの楽しみが郵便である。郵便屋と新聞屋のバイク音の違い、配達員の足音の違い、そんなものに神経が研ぎ澄まされ、心が揺れたりする。
▼先日届いた早稲田学報1152号の特集がおもしろい。タイトルは『人に転機あり〜その岐路と決断とは?〜』である。その中に帰農塾塾長・高野孟氏の文章が載っている。タイトルは「人生の二毛作を楽しむ〜房総の山林で始まるエセ田舎暮らし〜」。▼内容は帰農塾の講義で聞いた話しである。おそらくこれは高野さんのネタだ。さまざまなところで同じようなことを数多く語っているのだろう。そういえば、講義でも新鮮なエナジーが出ていなかったな。対象的に農文協の甲斐さんの話はライブ感たっぷりの、その場で降ってきた言葉を紡いでいた。だからなおさら感動した。この人の能力はすごいと思う。▼話をもとに戻そう。二毛作と言うのは、稲を作っていた場所に麦を蒔くことだと小学校の時に習った。今、日本で二毛作をやっている場所はどれほどあるのだろうか。この辺(千葉)ではあまり見たことがない。▼それはそれとして、人生の二毛作とは、高野氏の場合大雑把に言えば、今までは気鋭のジャーナリストとして都会生活があり、60歳が見えてきたところで農的生活を志すことを指すのだろう。つまり、全く異なる価値、次元の生活を、一度の人生で経験することだ。▼高野氏の文章の書き出しだ。『若いころは、ロシア革命小説の中で出合った「生きることを急がねばならない」という科白に妙に感じ入って、「そうかあ、死に急ぐのではなく生き急ぐんだ。人生、太く短くだ」などど決め込んでいた。実際それから、仕事にも遊びにも普通の人の何倍もの精力を注いで生き急いできたのは事実だが、案に相違して「生き急ぐ」のと「人生、太く短く」とは関係がなくて、還暦を過ぎた今日まで幸い病気一つすることもなく生きながらえて、いやそれどころか、このところ遊びも暮らしぶりもますます忙しくなって「人生二毛作目」への折り返し点を楽しんでいる』。
▼私には二毛作はない。なぜなら、稲作がしっかり完了していないからだ。いや、一期目は「不作」だったので、二期目は頼むぞの心境である。万一、二期目に満足のいく収量を上げたとしても、トータルで1.5期作だ。二毛作とはしっかりした人生の地歩を固めてきた人の特許だ。▼私は特段高野氏が嫌いと言うことはない。生き方やその生き方から掴み取ってきた考え方は、尊敬に値し、ある種の憧れである。しかし、私とは違う。その違和感は消え去らない。私は人生二毛作ではなく「二期作」を目指す。であるから、おそらく人生最期の時を農村で過ごすことはないだろう。だが、もう既に農村なしではいられない体になっているのも事実である。▼都市・農村の雑居型二期作。これが私に与えられたテーマだ。高野孟という人物に出会ったからこそたどり着けた私の姿である。ありがたい出会いである。
私には今、麦踏の時が与えられている。私は麦。そして踏まれた後、はばかりもなく天に向かって伸びていこう。