分岐点

N0WHereNowhere2005-07-24



妥結と決裂の分岐点はどこにあるのだろう。


▼少年野球で子供が口げんかになり、一方が手を出した。他方はその場は我慢をし、報復をしなかった。その後一方が追い討ちをかけるように口げんかを続けたため、他方は我慢の限界を超えた。他方は手を出しただけでは気が済まず、お腹に見事な蹴りを入れた。パツンという乾いた音が響く。間髪を入れずにわめき声がこだまする。まるで太陽にほえろの殉職シーンを見ているようだった。▼これは子供たちの間では大事件になる。蹴った子供は監督の激怒を買い、帰れと言われる始末。周囲の子供たちは蹴った子供を悪く言う。▼口げんかはあいこ。手を出したのもあいこ。しかし、蹴りだけは債務超過。その分は謝らせる。相手も先に手を出している点を反省してもらいつつ、謝罪を受け入れさせる。▼ここで、いわば加害者という立場に追い込まれてしまった子供を返すわけにはいかない。被害者に祭り上げられた子供は私の長男だった。そこで、当事者同士の和解が成立していること。保護者が納得していることを条件に、蹴りを入れた子供を悪者にしないことを、周知させた。そして、言葉の持つ負のエネルギーを子供たちに感じさせた。▼喧嘩の後、練習は再会されたが、凍りついた緊張感がその場を支配していた。しかし、そこは子供の柔軟性なのだろうか、あっという間に融けていった。長男も蹴りから何かを感じ、学んだ。▼帰れと言われた子供を監督の意に反して、返さなくて良かった。これはある種の妥結点だった。排除は一時的な安楽を用意する。しかし、次の大きな欠落を吸引するブラックホールともなる。


▼私はこれまでどれほどの妥結と決裂の中を泳いできただろうか。そして、これからどんな妥結と決裂を産んでいくのだろうか。妥結の連続でも、決裂の連続でも、人の一生は成立しない。妥結も、決裂も必要な時がある。▼良い麦だけを育て、収穫することは出来ない。そこには必ず毒麦が混ざっている。毒麦だけ間引こうとすれば、良い麦の根も一緒に抜くことになる。