目障り

N0WHereNowhere2005-07-27



ここ一週間読もう読もうと思っていた本を、昨日ようやく読んだ。▼「シンクロニシティー」。もう随分前に出会った言葉。またそこに帰っていくような内容だった。▼私は小さい頃からシンクロニシティーを多く享受するタイプであった。ところがその意味を探求し、受容する能力が弱かった。しかも、シンクロニシティそのものに対する信頼感が欠けていた。だから数多くのシンクロニシティーを無駄にしてきた。▼「目障りなものがいなくなって、ああ、よかった」と人は思うだろう。しかしそうは問屋が卸さない。鬱病の社員のクビを切って追い出すと、同じ部署で、別の社員が鬱病になる。同様に目障りな人物を消し去ったら、また目障りな人物が、突如として目の前に現れる。あたかも偶然のように思えるが、けっして偶然ではない。▼それは、なぜかといえば、自己の内面で抑えこまれた人格が、外面で実在の人物---嫌いであったり、目障りであったりする人物---となって現れるからだ。あなたにとって嫌いな人は、実は自分の内面を映す鏡なのだ。▼多くの人は、嫌いな人の出現を、心理的カニズムによる現象ではなく、単なる偶然と切り捨ててしまう。そのため、貴重な学びを得ることができない。そして、学びを得ることができるまで、呪わしい「目障り」な人物や出来事と出会い続ける。▼私は未だに呪縛から解かれていない。しかし、徐々に縄の解き目が見えつつある。

人生の旋律  死の直前、老賢人は何を教えたのか?

人生の旋律 死の直前、老賢人は何を教えたのか?