現実
「現実」という単語が大嫌いだった。ところがこのところこの言葉に対する評価がうなぎ上りだ。反動ではない。感じ方、考え方に変化が出てきたのだろう。▼朝日新聞の夕刊1面に企画記事が連載されている。「ニッポン人脈記」。7月28日の3段目に「夢も情も利己心もあるみずみずしい人間の合理主義」という言葉が出てくる。中曽根康弘氏の言葉だ。これがよく分かるように・・・なってしまった。▼利己あっての利他の精神なのだろう。利己を排除したところに実は利他はない。そうなると、日本聖公会的キリスト教が持つ、時代遅れの左翼的な、そして利己的かつ大本営的な発想にはヘドが出る。▼また、本田哲郎の「小さくされた人々」シリーズにも違和を抱く。無条件のルサンチマンには反感を持つ。▼自らの利己にまなざしを向けない。向けたとしても排除する。そして、同様の排除を他者にも、社会にも、世界にも求める。尊大にして、傲慢の極みである。▼神とキリスト教は同じものではない。キリスト「教」は人間がしていることに過ぎないのだ。なぜならば、人間に神を信じきる能力は与えられていない。キリスト教の人々と接すればよく分かることだ。▼キリスト教主義や共産主義とは異なる「情も利己心もあるみずみずしい人間の合理主義」。私はこちらの方が好きである。▼ただ、世の中にはさまざまな事柄が存在し、それを眺める私の色眼鏡がある。言ってしまえばそれだけのことである。その現実を想起できない人がキリスト教には多いように私は感じ、またそのことを大変煩わしい、と私は思ってしまう。
▼私利とのとことんまでの暗闘の末に他利がある。他利ははじめから用意されているものでもない。他利たれと教義や道徳律で縛ったところで、本質は何も変わらない。他利とは体験的知恵に他ならないのだ。
コメント欄で、yuraraaさんが教えてくれた本です。
- 作者: フィン,パパス,深町眞理子
- 出版社/メーカー: 立風書房
- 発売日: 1981/05
- メディア: 単行本
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