控訴の理由

N0WHereNowhere2005-10-17



風俗店で強殺の被告、死刑確定へ 生と死見つめた9年間(朝日新聞夕刊・asahicom 2005年10月17日)

▼東京都の風俗店経営者ら殺害事件で、最高裁第一小法廷(泉徳治裁判長)は17日、強盗殺人などの罪に問われた元従業員、陸田(むつだ)真志被告(35)の上告を棄却する判決を言い渡した。死刑判決が確定する。陸田被告は9年間の勾留(こうりゅう)生活を、罪と向き合い、生と死の意味を考えることに費やした。支えたのは、哲学を日常の言葉で表現し続ける文筆家・池田晶子さんとの十数通に及んだ「往復書簡」だった。▼最初の手紙は、逮捕から1年半が過ぎた98年4月、東京拘置所から届いた。ソクラテスに関する池田さんの著書を読み、「ただ生きるのではなく、善く生きることの意味を知った」とあった。▼「2人も人を殺しておきながら、それでもまだ『死刑になりたくない』と考える自分がいる。これは二重の罪悪感となりました」。罪の重さに気づいて悩み、苦しんだ。しかし、著書に示唆されて「迷いが消えた」。そんな感謝の手紙だった。▼「(一審で)死刑でも控訴せず、このまま善く死んでいける」ともあった。池田さんはそこに「待った」をかけた。▼「もし本当に善く生きる気があるのなら、自分がつかんだ真理や幸福を、ほかの人にも知らせるべきでは」と返事を書いた。彼の思索をより深め、伝えていくことが「哲学と人類のため」になると思えたからだ。控訴して「書き、残す」ように呼びかけた。▼「生きて、語ってください」▼「命乞(いのちご)いはしない」と打ち返す被告に、「努力を放棄して死ぬつもりですか」「甘い」「無責任です」とたたみかけた。▼東京地裁で死刑判決を受けた被告は、控訴した。「自分のやることのために生きて、最後には法律に従って死のう」。控訴理由は「まだ生きていたいから」とした。▼「殺人犯と哲学者の対話」は共著「死と生きる」(新潮社)として99年に出版された。その後も続いたやりとりを踏まえて池田さんは話す。▼「死刑という極限状態に置かれて彼の思考は追い込まれ、ついに生死を超越した。もう生への執着はなく、死刑確定も平常心で受け止めるだろう。まだ書きたいことがあるようだがうまく書けなくて、そのことでは苦労しているようです」▼〈一、二審判決の認定した事実〉 陸田被告は双子の兄と共謀して95年12月、自分が働いていた風俗店を乗っ取るために、東京都品川区の事務所で店長(当時33)と経営者(同32)を刺殺。現金約20万円が入った財布を奪うなどした。

▼私は母を亡くしてから、生きることに対する視点が、自らの誕生に端を発する視点から、自らの死を想定し、遡って考える視点に変化した。▼不謹慎な言葉遣いを許していただきたい。我々も死刑囚ではなかったか。人の罪は人には裁けない。であればこそ、見えてくる道もある。決して美しくはない、いばらに覆われた道だけど。


▼私たちの最低限の使命は、死ぬまで生きること。