ラジオ

N0WHereNowhere2005-10-19



1988年だったと思う。J-WAVEというFMラジオ放送局が開局に向けて準備を進めていた。その試験放送期間はとても幸せだった。一日中ぶっ通しで洋楽をかけていたからだ。▼その後、ラジオ局は開局し、やはり洋楽中心の選曲が評判を呼んでいた。テレビでは「ベストヒットUSA」が一時の勢いを失いかけていた頃だった。▼番組の合間に流れるニュースのキーワード。ルーマニア東ドイツエストニアラトビアリトアニア、そしてゴルバチョフ。▼私が小中学生の頃、東西冷戦は終える気配が全くなかった。心のどこかで米ソの対立に怯え、核兵器の脅威を感じていた。それが、このラジオ局が開局した年、あれよあれよと崩れていった。▼高校2年の時、ゴルバチョフが書記長に就任した。阪神タイガースが21年ぶりに優勝し、日本一になった年だ。私は五木寛之ゴルバチョフに魅かれロシア語を一人で学び始めた。大学に入り第二外国語もロシア語だった。ソ連に行ってみることが夢だった。▼ゴルバチョフペレストロイカは情報公開(グラスノスチ)が柱だった。そのグラスノスチを支えたのがヤコブレフである。その彼が昨日亡くなった。20歳の夏、横手での打ち上げ参加を拒否し、早々に巡回を切り上げ、私はひとり8月6日の広島に向かうため東京駅にいた。新幹線改札をくぐると、物々しい警備体制の中、ヤコブレフがこちらに向かって歩いてきた。▼ソ連に行くことは叶わなかったが、ヤコブレフに会った。そして、その7年後、ソ連に行くことは叶わなかったが、取材でロシアに行くことになった。物事は思いもよらぬ軌跡を描き変化するものなのだ。直接その時の夢は叶わぬかもしれないが、その夢には続きがあり、着地点がある。


▼ところで、その後、件のラジオ局はすっかり編成を変え、私の幸せな時は消えた。合間に流れるニュースにも魂が揺さぶられるキワードはなくなった。私が好きになるものは早々にこの世から消える運命にあるようだ。


▼あ、地震だ。結構大きい。電子レンジの上からトースターが落ちた。物が落ちたのは初めてだ。