週刊 岡本吏郎

N0WHereNowhere2006-01-10

■「生きている意味について話をするということは、そのときすでに、生きている意味がなんらかのしかたで問題化しているからです」(V・E・フランクル

年末のご挨拶をフランクルの言葉で締めたついでに、年始め第一回もフランクルの言葉ではじめよう。フランクルが言うまでもなく、我々は順調なときには、順調なものを問題にすることはない。普段は、胃のことを気にすることはないが、少々痛むと気になりはじめる。

セミナーなどでよく言うように、HAPPYの語源はHAPEN。
そう言えば、このことは本にも書いたかな?「幸せ」というのは、欲することはできない。自然に生じるものである。自然に起こるものである。つまり、私たちは「幸せだ〜」などと叫ぶ時はあるけれど、そんな風に叫んでいる対象は幸せでもなんでもない。

「幸せ」は「胃」のようなものなのである。

したがって、「幸せ」は残念ながら目標にはできない。「幸せ」を目標にする行為は、幸せから遠ざかる行為でしかないのだ。

年始のご挨拶にも書いたように、「成功教」は「恐怖心」の裏返しでしかない。恐怖心の克服を「成功」という二文字に求めていたのでは、恐怖心なんていつになっても克服できないのだ。

ここに、「成功」を売る人と買う人の関係性がある。人の「恐怖心」を煽っているのだから、オウム真理教ノストラダムスの大予言とも何ら変わらないのだ。

年末に、「経営計画セミナー」に出席したある方からお電話をいただいた。
電話の内容は、「あなたのノウハウを売らせて欲しい」というもの。

「自由を獲得するうえで、あのノウハウはもの凄く強力だ」というお褒めの言葉をいただいた。そして、「私も自由を手に入れるきっかけを手に入れた」と言っていただいた。

ところが、その後、話は次のように展開した。
「多くの人に自由になってもらいたいので、あのノウハウを広めさせて欲しい」

私は言った。
「なぜ、切実に自由を得ようとしている人が、他人に自由を手に入れる方法をアドバイスできるんですか?」

私の言うことはすぐに理解いただけた。少々興奮して、気分が脱線したご自身にお気づきいただけたようだ。人はこういった間違いをすぐに犯す。気を付けなくてはいけない。しかし、気を付けていても、こういった「裏返し思考」をしがちなのが人間なのだ。

さて、話を結論に一気に持っていきましょう。年始にあたり、言いたいことは一つ。あなたの目標は「何かの裏返し」ではないか?とくに、裏のニーズが「恐怖心からの脱出」の場合、どんなことを実行してみてもうまくはいかない。言うまでもないことだが、それは逃げでしかないからだ。

「あいかわらず、オカモトさんは同じようなことを言ってるな」
そう思う方もいるだろう。そう思うのも当然である。なぜなら、世の中、そんなに外に広げて何かが得られるものではないからだ。「チルチルミチル(青い鳥)」が全てを語っているではないか。

と言うことで、私の年始第一回目メルマは、あいかわらずの余計なお世話なのであった。
でもね・・・・・・・。ここがわかっていないとムダな実行が多くなるので、ムダが大嫌いなオカモト君は、あなたに、それを言いたかったのである。

「(幸せは、)けっして追い求められないものであるわけですから、幸せを得ようとすれば、いつも失敗することになるのです」(V・E・フランクル

−週刊・岡本吏郎−より