我が人生に悔いはなし

N0WHereNowhere2006-02-23



終末を迎える時、人間は、したことよりも、しなかったことに悔いるという。「あの時、やっておけばよかった」と。私はおそらく、悔いへの圧迫感が少ない方だろうと思っている。▼その時々、冷静に考え、慎重を期し、何事をなすべきか...なんて、ほとんど考えない........のです。私の行動原理の基本は、やはり直感であり、本能でありました。▼何でそんな選択をしたのですか?と問われても、その時、そのように強く思ったからだ、としかいいようがない。ある意味ではきわめて無責任、ある意味ではとても自由にやってきてしまったのでした。▼私の最後の歌は、石原裕次郎さんに歌ってもらいたい。


作詩/なかにし礼
作曲/加藤登紀子
編曲/若草恵
発売/昭和62年4月


鏡に映る わが顔に グラスをあげて 乾杯を 
たった一つの 星をたよりに はるばる遠くへ 来たもんだ 
長かろうと 短かかろうと わが人生に 悔いはない


この世に歌が あればこそ こらえた涙 いくたびか
親にもらった 体一つで 戦い続けた 気持よさ 
右だろうと 左だろうと わが人生に 悔いはない


桜の花の 下で見る 夢にも似てる 人生さ
純で行こうぜ 愛で行こうぜ 生きてるかぎりは 青春だ
夢だろうと 現実だろうと わが人生に 悔いはない わが人生に 悔いはない




登紀子さが作曲してたんですねぇ。今まで気が付きませんでした。▼私は、私のたどってきた道、特に出会ってきた人たちとの語らいは、腹の底から面白いと思っている。▼多くの方々にご迷惑をお掛けし、不謹慎を承知の上で、逆に言えば普通の方にご承知いただけないことを前提に、私は私の生を肯定できている。これが、今の現実であり、まずはこれから15年に向けての前提です。▼52歳をひとつの節目にします。なぜですか? と、問われても、そう思うからです。勘です。ここで一次会は締めようと思っています。二次会があるのか、はたまた人生お開きか? それは分かりません。ただ、のうのうとした老後に私は不向きであると思います。▼老いがあり、病があり、死がある。37歳という年齢は、もう既に老いの一部を感じさせます。また私には死ぬまで付き合う病があります。そして母が逝ったように、私も逝くのでしょう。生には期限が決まっていないように見えて、必ずあるのです。▼まずは52歳まで一生懸命に。その前に真摯な悔い改めを。きちんと地に墜ちよう。