「よいことはカタツムリの歩み」

N0WHereNowhere2007-02-12



このブログを書き始めた頃、私は添付写真にサグラ・ダ・ファミリアを良く使った。▼そろそろインドの旅から帰ってきたであろう、元チャプレンが私によく言う。「よいことはカタツムリの歩み」と。▼野球のコーチをしていると小さな感動を覚える瞬間がある。今までさっぱりできなかったことが、ある時いきなりできるようになる。そんな子どもたちの姿を見るのは気持ちが良い。▼しかし、どうしても大きく改善、変化できないことがある。それは足だ。走る速さだけは天賦の才能である。フォームを改善してもたかが知れている。▼「よいこと」を50メートル6秒4で走りたがる私。(今はデブですが昔は速かった。何の努力をしなくても。)しかも、生きている間に見届けようと思っている私。▼それが本当に「よいこと」だったら、私がいなくなった後でもいいではないか。「よいことはカタツムリの歩み」「人はサグラ・ダ・ファミリア」。▼自らの能力を超えたスピードや生きているうちの完成に拘るのは、38歳、そろそろやめにしよう。それが今の私の課題だ。次のワンクルー(12年)ではそれを意識したい。英語のレッスンも焦るといやになる。マイライフ、マイイングリッシュで行こう。▼そして、与えられるならばもうワンクルーだけでいいので生きてみたい。62歳くらいで十分だ。急がないけど、そろそろ密度を上げて生きようかな。▼今、私は、5年後、12年後、24年後の私を描き始めている。すみれほどの小さな人生だろうけど。