Lost Decade

N0WHereNowhere2005-07-12

生まれて初めて行った外国はハバロフスクだった。タラップを降りると違和感のある風景。しかし、ここが外国であるということを思い知ったのは、風景ではなく臭いだった。不快ではないが、違う臭い。あの違和感は忘れがたい。▼この年、敗戦50年を記念して多くの番組が作られた。私はニュース7の企画ものを制作するために抑留経験者のシベリア訪問に同行した。日露合同で慰霊碑を建立し、除幕式を行った。式典が開催された村は、1918年のシベリア出兵の際、日本兵によって焼き討ちされた村であった。また、敗戦後は日本兵が抑留され、極寒の強制労働で多数が命を失った村でもあった。▼こういう現場に出るといつも襲われる感覚があった。現場を伝えることは大切だが、どうがんばっても当事者と同じ視線にはなれない苦痛。いつも高みにいる傲慢さ。所詮、天下のNHKで、高給を受け取り、次から次へとネタを構成する。強い罪悪感を持ちながら働いていた。▼帰国後の編集作業は渋谷の報道局で行われた。放送センターには3箇所の出入口がある。正面・西口・東口。私は原宿駅からNHKホールの前を通り、正面(職員専用)から入るのが好きだった。▼建物に入ろうとするその時に、頭の上に聳え立つあのガラス張りのビルを見上げる。私は常に強烈な違和感を覚えた。その時とっさに感じたのは、そう長くはないなということだった。▼日本社会の軌跡と同じくするように、私は「ロスト・ディケード」を過ごすことになった。その10年が昨日の深夜やっと終わった、という感じがした。今はそこまでしか書けない。もう少し整理できたらこの先を書こう。