舞台監督

N0WHereNowhere2005-09-18



NHKのど自慢のPD(ディレクター)を担当したことがある。出演者の選考会から、ゲストのギャラの支払、果てはスタッフの宿・弁当までなんでもやる。のど自慢のコンセプトは、歌を通じた地域ドキュメンタリーの制作だ。だから出演者は歌唱力で選んでいない。どんなキャラクターがその地域を描くのに必要なのかを考える。▼担当PDなどというと聞こえはいいが、生放送の会場を仕切るのは、実はFD(フロアディレクター)とよばれる音芸部署のデスク級である。ディレクターという人種は、通常FDをやるのを嫌がる。自分の番組でないのに現場を整理しなければならないからだ。しかし、のどは違う。FDが舞監なのであり、番組に命を吹き込んでいる。▼PDは前日までに準備を一生懸命やる。当日は中継車の電気椅子にじっと座っているしかない。一方、舞監は当日が勝負。会場の下見を手短に済ませ、音の調整、出演者のドライリハーサル(動きのみを確認する短時間で終えるリハーサル)、ゲスト歌手の現場対応。無駄なく、そつなく、さっとこなす。▼日曜日の12時15分。鐘の音と共に番組が始まる。会場、ゲスト、地域の紹介が終わるとトップバッターの歌声。実は鐘の数も舞監が決める。鐘の数は台本であらかじめ指定されていない。現場の空気が決める。空気を掴み舞監が判断する。「はい、ふたつね」。すると舞台上の鐘担当者がその通りの音を鳴らす。▼今週のチャンピオンも、特別賞も全部舞監。PDは事前に自分が決めたとおりのカメラ割を指示し、中継車の中でスイッチングを指示し、スパーのダブリ(文字スーパー入れ)の出し入れのタイミングを指示する......だけである。▼このように、ライブ感がありそうでないのが,のどのPDである。しかし、私が唯一生放送の恐怖を味わう瞬間が最後に残されていた。▼のど自慢はラジオ第一、総合テレビの同時放送で行われている。ラジオが次の番組に切り替わるまでの間には、視覚に頼れない分、テレビよりも長く音の空白を作らなければならない。前の番組の余韻を残しながら、次の番組がはじまりますよぉ〜という空気を、音の空白で感じてもらうためだ。▼私はラジオの音を消す時間を中継車の中でカウントダウンしていた。「3・2・1、はい、絞って!」。ああ、やっと終わった。事前の準備が長く、2年目のハナ垂れディレクターには荷が重かった。その分、深いため息をついた。中継車内も一瞬安堵に包まれた。しかし、次の瞬間、恐ろしいひと言が中継車の中から湧いてきた。「おい、エンドタイトルダブッタか?(NHKのど自慢/終・著作・制作NHK山形の文字スーパー入れたか?)」。▼えっ!。ほんの1秒ほどエンドタイトルのない会場の俯瞰映像が見えた。しまった! 瞬く間もなく画面は中学生日記のオープニングタイトルが。私は、ラジオに気を取られ、テレビに「終」を入れる指示を出し忘れた。凍りつく車内。中継車と会場とをつなぐインカムも無音。数十名のスタッフが皆無言になってしまった。マイナス100度の真空冷凍パックだ。▼視聴者の立場では、「なんだその程度のこと」と思うだろう。ところが、社内では問題になる。「この程度のこと」を業界では放送事故と呼ぶ。このことが全てではないと思うが、担当TD(テクニカルディレクター)の転勤は東京から青森に変更された。そして私ののど自慢は未だ終わらすことができないでいる。▼非常に前置きが長かったが、今日は少年野球の監督がいなかった。法事だそうだ。グランドを舞台に例えると彼は舞監だ。少年野球歴30年。空気の掴み方とその空気を使った舞台の仕切りが天下逸品なのだ。しかも、エンドタイトルを忘れることなくその日一日を締めくくる。その人の偉大さはいなくなった時に気づく。▼私の目標は、必要とされるところで、きっちり決まる舞監になることです。