続・心の闇

N0WHereNowhere2008-01-10



※ちなみに「我が家」は防衛費が姿かたちを変えた一部である。▼義父はかつて「国際倉庫」という倉庫会社の経営陣に身をおいていた。主力は防衛産業の通関だ。件の宮崎専務とは「山田洋行」という会社名になる前からの付き合いで、「あんないい人が悪いことをするなんてなぁ〜」だと。▼自分のことは分からないもんだ。そのずさんな防衛予算執行の甘い汁をすすっていた張本人でもあるはずなのに、我が義父は。▼ダミー会社を作って会社を好きなようにしていたのも義父。おかげで会社を追い出されたのも義父。追い出されたおかげでバブル崩壊前に巨額の自社株売却益を手にしたのも義父。▼その義父の下で暮らし、生活している自分に違和感を感じる。さてと、この違和感、感じているようじゃ会社に復帰してもやってられないのだろうな。▼目をつぶることを今年は覚えたい。自分にも他人にも。それが破滅への道につながっていようとも。大事なのは今の生活という考えに転向しよう、この一年。▼ちなみに、義父は56歳で隠居生活。67になる今も日航・防衛関係者と月に一度ゴルフに行く。人の生き様などそのようなものなのだろう。そこを生き抜いた義父は尊敬に値する。▼そういう人間が好きか嫌いかということと、飯を食う食わぬとは別問題にしよう。▼つぶれ、目をつぶるのだ。今までの自分なんてちっぽけなものは、心の倉庫にしまっちまえ。▼倉庫か。できれば国際倉庫ではなく、酒田の山居倉庫がいいな。「ひるどき日本列島」の生中継で中に入れてもらった彼の地の。なんとも言えぬたたずまい。まるで藤沢周平の臭いが染み付いたような心地の良い。▼あぁ、あそこなら心を預けてもいい、そんな倉庫がほしいな。

心に闇を!

N0WHereNowhere2008-01-01



事件が起きる。特に未成年の事件につき物のキャッチコピーがある。「彼の心の闇は何だったのか?」。▼笑わせてくれる。心に闇がない人間がいるのだろうか?▼要は心の闇を直視しない、心の闇にのまれる、それが問題。▼リスペクト、コントリビューションの時代ではある。しかし、そのリスペクト、あのコントリビューションは本物なのか?▼リスペクトのためのリスペクトやコントリビューションのためのコントリビューション。気がつけば、守屋。これが現実ではなかろうか?▼私はようやく自らの闇を直視始めている。そして、そのことをやっと少しずつ、確実に、素直なありようで表現することができるようになった。▼アドバイスは本当にありがたい。しかし、そこは今の私からはあまりにも距離がありすぎる。でも、少しずつ埋めていくつもりだ。▼心の闇がしっかりしたものになった時、どんな小さな灯火もまばゆいばかりの光を発すると信じている。▼心に闇が無ければ、いつも心に太陽だったならば、私は輝きようがない。▼心に闇は必要だ。これが今年の事始。▼闇のない人間なんて嫌いだ。闇を表現できない人間なんてつまらない。闇と対峙できない人間は不幸だ。

それでも私は生きている

N0WHereNowhere2007-12-30



宴会、パーティー、冠婚葬祭、カラオケ、私は、とにもかくにも多数の人間と、ワイワイがやがややるのが嫌いです。▼疲れるんです。とても。まるで「SP」の岡田君のように。いろんな人の想念が、私の意志やテンポに関わり無く渦巻き、私の中に勝手に入ってくる。 とても疲れるんです。できればそういった想念や策謀には触れたくない。いくら仕事でも。甘えだろうか。▼中でも一番嫌いなのが接待です。これは接待するのも、受けるのも嫌いです。▼それから職場の歓迎会・送迎会も、私が送迎される側になるのが嫌いです。別に私は送迎されなくても腹は立てない。▼いわゆる「村」が好きではないのです。▼飲むのはほとんどがさし。多くて3人まで。それ以上は無理。ただのむなしいお付き合いで、かなりの苦痛を伴う。▼したがってこういう考えは、その実言葉となり、行動となって現れることになる。そうなると、当然そこには「村」八分が存在するわけだ。▼私は役に立つ人間ではなさそうだ。組織人として。それでも、食っていかなきゃならないんだから、心の売春婦の如く、心を売って生きていくしかないようだ。▼怖い、怖いと思いながらも、結局私は飯も食えば糞もする。それでも私は生きています。この状況が、今はとても辛い。自決は腹立たしく、今はしたくない。ゆえに、お迎えを待つのみか。▼当分、神様もゆるしてくれないだろうな。イエスと同じ苦しみ、ユダに見習えといわんばかりだ。▼でもね、それでも私は生きてます。それが辛い。

怖い

N0WHereNowhere2007-12-29



今は怖い。怖さでいっぱいだ。▼きのう夢を見た。後輩から長期休職について説教食らっている夢だ。▼元同僚の女性職員からは「くびになる前に、ご自分から潔くお辞めになられてたらどうですか!」と迫られた。▼予期不安ではない。私はさまざまな人から無視されてきた。無視の仕方はさまざまだった。気に入らない人間だったようだ。▼さて、そういう人間がうじゃうじゃいる中にどうやって戻ろう?戻ってきてほしいという期待よりもはるかに辞めてしまってほしいと思われている環境へだ。▼森田療法で「恐怖突入」というのがある。たとえば赤面症の人が、人目が気になり電車に乗れない。▼この人には無理やり電車に乗せます。本人にとっては大変な恐怖です。ところが、誰もが私を見ているのではないかとおもっていたものの、慣れてくると、自分に注意をとめている人などほとんどいないことに気づきます。これが、「恐怖突入」の効用です。▼ところが、私の場合は「恐怖突入」しても、私に悪感情を抱いたり、信用を置いてくれなかったらい、無視される方が実際にいるのです。恐怖はいつまでも続きます。どうしたらよいのだろうか?▼たとえ病気であるとはいえ、もう限界はとっくに通り過ぎているわけです。▼怖い、とにかく今は怖い。ただ、ただそれだけだ。怖さが定年まで続くのかと考えただけでも気絶しそうになる。これは本当だ。▼怖い、死ぬのよりも怖い。でも、そろそろ自分を受け止めなきゃ。怖い思いを持っている弱い自分を。次、失敗したら解雇らしい。まだ、労使折衝の最中だが。▼なんで、こんな風になってしまったのだろう。自業自得といえば自業自得。あとはせめて、今おかれている自分の苦境から何かメッセージを汲み取り今後に生かすか。▼怖いよ。とにかく。死刑執行を待つ死刑囚ってこんな感じじゃないだろうか。

治すのやめた

N0WHereNowhere2007-11-20



我輩は病である。完治はまだない。▼治すの諦めました。治そう、治そうと囚われてきたわけです。これはいい加減疲れました。▼我輩はデブである。体重は減らない。▼減らすのを諦めました。減らそう、減らそうと囚われてきたわけです。もういいです。▼我輩は囚人である。娑婆には出られない。▼出たい、出たいと囚われてきたわけです。▼わたしは「サトラレ」ではなく、「トラワレ」という人種のようだ。▼我輩は「トラワレ」である。「トワラレ」に囚われることから逃げるのはやめた。逃げたら何でも怖くなる。▼私は後生「トラワレ」として生きていく。「トラワレ」には役に立つ面もある。▼少し、すっきりした、かな。▼追伸 お世話になっているみなさん、口ばかりが先に立ち、その不義理をお許しください。

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ドキュメント マイナーの誇り―上田・慶応の高校野球革命

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観念、堪忍、専念

N0WHereNowhere2007-10-26



9月の中旬から、体を何とかしなければいけないと、スポーツジムのメタボ講習に通い始めた。7月下旬には96キロあった体重を、10月はじめには87キロまで戻すことができた。▼ところが、私の身長からはじき出される標準体重は70キロなので先は長い。メタボ専門家は、肥満の者は90日で減退中の5%落ちるように、食事制限と運動の継続を呼びかける。▼10月の半ばから調子が悪い。急に寒暖差が大きくなったことに起因するのだろうが、鼻水を中心に風邪が止まない。体重落としすぎたのだろうか。▼復職を焦っていたのだ。10月からは多くの人を動員した行事が始まる。それまでにはという気持ちがあった。▼わたしは、徹底的に自分の体を、自分の都合に合わせようとしてきた。体の声なんか聞きやしなかった。本当は体の声も聞きつつ、仕事とのバランスを取らなければならないのだ。当たり前のことだけど。▼先日、メンタルヘルス・マネジメント検定(3種)を受けた。いかに自分の健康を自分で守るか。それを学んだ。学んだものは活かしたい。きのう主治医に11月も休むように言われた。私はとうとう観念した。▼この観念が、できず、返って私は自分を痛めつけ、結果として人を思いやることが出来なかった。ご迷惑をお掛けした方々には、大変申し訳なく思っています。心からお詫びします。▼件の検定のテキストには、雇用側の安全配慮義務と同時に、労働者側の健康保持義務が謳われている。しまったと思って、外部の病院で健康診断を受けた。▼肥満。中性脂肪・GOT・GPTが基準値をオーバー。善玉コレルテロール(HDLコレステロール)は基準を下回り、尿酸値は7.6とまもなく痛風域で近日中に再検査。▼血圧は98/64と「死の四重奏(肥満・高血糖・高脂血・高血圧)」のうち、今のところ高血糖と高血圧だけは逃れている。▼体のダメ出しに観念。風邪が治りかけてきた。まず、こちらが治るのを待って、まった焦らずの一歩を。堪忍してください。からだ君がどうにもならんと、本当にどうにもならない。今はすべてを投げ打って、からだに専念。